蜀国のトップ。
関羽と張飛を従え全土統一を目指す。
日本では”徳”のある人物としてとらえられる。
弟である袁術とは不仲であり、両派に分かれて争っていた。
名門出身の為か,むやみな戦をせず絶えず戦況を窺い犠牲の多くない戦術であった。
兵力においては曹操を圧倒的に凌いでいた。
しかし、顔良や高覧など優秀な部下を抱えていたが皆去って行った為、急速に力を失った。
袁紹にとって最後で最大の過ちは後継者選びであり、この為に袁家は没落することになる。
袁紹の長男
袁紹の三男
美貌であり父親の袁紹にかわいがられ,長男ではないが後継第一候補と考えられていた。
これは後継争いを起こす原因となり、袁家の内紛につながった。
曹操の側近
仕えていた袁紹を見限り、曹操の右腕となり数々の戦功に寄与した。